病院の遠景

パソコンで闘病記 (主人の日記を一部転記してみます。)
少々手直ししたところがあります。

夫の闘病日記

1月9日の日記

カーテンを開けると今日も雲が厚くどんより曇って今にも落ちてきそうだ。少しすると、カーテン越しに日が差してきた。天気の良い日、屋上へ出てみたい、屋上からの広い海を見てみたい。地平線を、荒波の日本海を見たい。何日も病室に閉じこもってきたが、最近では車椅子で歩かれるようになり4点杖でも歩かれるようになって来た。屋上へ行かれるのも天気しだいだ。ママが昼に来て1階2階と私がまだ一人で車椅子で歩いたことの無い所に連れて行き、ここが最初に入院をした部屋、2番目の部屋と連れて歩いてくれたが、私にはところどころしか解らず記憶に無いのである。夢の中に引っ込まれて夢の続きを見直す感じ。早々に病室に帰る。3時前になるので、私が帰るように言い、明日のくにびき学園も休むように、家で休息するように。体を休ませないと風邪を引き長引くといけないから。納得して帰ったので私一安心。今日も良い日でありました。お休み。

  1月13日の日記

16時歩行訓練。今日は初めて1本杖で歩行できた。怖い怖い。やらなきやおんぶが出来ない。1本杖で歩行が出来てから、両足の片方右の膝下を上に上げる、指先を上に上げる、膝から上を上げる、それがすんだらもう一方の左膝下を上に上げる、指先を上に上げる、膝から上を上に上げる、力があった。力があったので「歩こう歩きましょう」ということになった。何も持たず介助だけで歩くのだ。怖かった。ホント。何も持たずに・・・僅かだが出来た、出来た。昨年11月に歩けたのを最後に歩けなくなった時、最後に歩けた時のことを忘れてはならないと心に一人誓っていた。雲の上を歩いているような左足が、歩ける左足になるのだ。嬉しかった。信じるのだ。信じるのだ。
 1月21日(歩行訓練)

昨日から4点杖無しで杖のみで歩くこと1度、杖無くして介助のみで歩くこと1度、そうして病室までも4点杖つきながら介助されて帰って来る。今日も昨日と同じく起立を10回、その前に足を伸ばして仰向けになり、左足を上に向けてあげること10回。その後左足を横に広げること10回。今日は無いけどマットに座りひざを上にあげる力を見る。左足の指先を上にあげる力をみる。起立をして杖なし介助のみで歩く。「4点杖や、1本杖をつくと杖に力が掛かり左足に力がつかないので、思い切って杖無し介助のみで訓練をしましょう」とK療法士。早く左足に力をつけるためだ。私も応えたい。4点杖で歩き、今日も起立から始まり介助のみで歩く、歩いても姿勢が悪い。足の置く位置、肩、腰の入り方(内に入る)左の足の字に置く。前かがみにならないこと。一気に訓練室内をいつぱいに広く休み無く4周まわる。左足が痛い次の左足が出そうにない。左足が出ると右足は左と違ってすぐ出る。次の左足が出ないもうダウン。休憩。起立を10回とマツトの上で横になり左足で『ける』指先を『曲げる』、左足の筋肉をつける、その後は介助のみ。杖無し訓練場を休み無く4回まわる(土曜日)。普通の日の3倍訓練をした感じ。足の付け根、運動会のあとみたいである。左足に体重が掛かるとき、足を置く位置、その前の左足を運ぶ姿勢、足先に(感覚)かかとを下ろしてつま先を下ろす、つま先をけつて足を上げる。鏡を見ると左肩が下がり、左足を上げて前に出すとき左足のつま先が下がる。(感覚無し、にぶい)左足、右足交互に前に出す。腰に体重交互に、足にも交互に体重が掛かる。良く知ること。

1月24日の日記

日曜日が明けて1週間が始まる長ーい1週間でも過ごすと短い。一日があっという間に過ぎる一日もある。起きてトイレ歯磨き、洗面、パジャマ、服の着替え、くつした履き、布団たたみ、朝食。(汁、ふりかけ、シュマイ風高菜の煮付け、ご飯)食べてパソコンかテレビを20分から30分。トイレに行き、それまでに風呂がある。10・30分から言語訓練。(S療法士)4階に向かう訓練1時間。終わると3階で昼食。(ホイル焼き、白采ごま和え)2時から作業訓練1時間。(M療法士)終わると3階の病室でトイレ、少し休息。これから体力を使う歩行訓練(K療法士)4階で4時より1時間5時まで。終わって3階に帰ると夕食(さわらうに味噌焼き)休憩しながらここまで書くが、まだ風呂もトイレも何もしないでいる。皆は風呂の訓練に出かける。今日は長ーい一日だ。私にはパソコンがあつて暇をつぶせる。長い時間一人で居ても苦にならない。今日1時半から回診がある私の病室に回って来た時「車椅子はいらないでしょう」と言われたので要らないと私がいった。早く直りたくて前向きに、又早く直してやりたくて前向きに。夕食後歯磨をする時、車椅子は要らないと私は言った。折りたたみ椅子で歯磨きをした後、身動き出来ない破目になる。堪忍袋は破るな,一に堪忍、二に堪忍、堪忍袋は破るな。これで今日の事は忘れる。

1月25日の日記

今日も良い日でありますように。良い日にするのも心次第、心がけかな。6時起きトイレ、歯磨き、朝食。(汁、がんも煮、ふりかけ、牛乳)下着も着替えたいが今日風呂に入れたら風呂で着替えるかな。STの訓練が終わって部屋に帰るとママが来ていた。観音様が来ていた。昼食済んで一息話をしてから目薬を買ってきてくれた。その時キヌヤで大福もちを部屋の者皆に行き渡るほど買って来てくれた。皆にも大福が渡り,皆にも観音様であったようだ。昼食(さばの味噌煮白ねぎ入り、豆腐あんかけ)夕食(鳥ミンチ、ブロッコリ、チーズ和え)。同室のTさん、28日に退院が決まり荷造りも済み、2・3日前より悠々自適で居られる。Fさんも横になり休息,Nさんは辞書とにらめっこ、私はパソコンとにらめっこ。夕食になり食堂に行く。又介助人を呼び4点杖で歩く。今は私が歩くときはいつも介助(看護婦)が要る。私が動くとお供を従えて歩いているそんな感じ。無駄な私の動きは経費の無駄使いになる。考えて行動、注意して動く。左指カラーペグの訓練で以前より随分と指先に力が入り縦1cm横5mm持った先を2mmぐらいの穴にさして立てる。小さなペグを持つこと自体、指先に力が要る。決まった穴に持って行く。左手だけでは決まった穴に持って行ける時といけない時がある。いけない時は右手で支え、補助し穴先まで持って行くこの訓練は肩、背中、座っている腰左足、全体がだるく痛くなる。足の付け根、腿にしびれが来る。腰から足の方はパソコンを打っている時と同じ状態になる。左手、指先、手首、朝起きた当初、動かすと少し痛い、訓練をしていると痛さも和らぎ動きやすくなっているようだ。足の状態と同じ状態で、訓練をすると痛さも和らぎ動きやすくなる。

2月7日(月)

もう少し身を入れて訓練に取り組まなければ、退院まで日にちがないと思う。作業訓練では(手先、指)左手も少しづつ思うように動きだして来た。言葉の訓練では記憶することは少しできるようになって来た。聞き取りでは、相手に声かけはゆっくりと、始めの音ははっきりと発音してもらう。ジェスチャ等を利用。字を使えば会話は確実に伝わる。歩行訓練ももう少しゆっくりと確実に左足を運び、置く位置も大切。ママが12時すぎに私が食事を済ませた頃病院にやってきた。ママも寿司を食べ、その後私の介助をして1階にある売店まで行き、新聞を買い、自動販売機にてコーヒを求め、ロビーで飲む。病室に帰ると回診が始まっていた。ママも注意深く聞き入り、見守っている。各訓練、ゆっくりと仕上げ、完璧に治療して行きたい。二本の足だけで歩きたい。(おんぶがある)

2月8日の日記

私が身障者となって分かることが多少ある。身障者は普通の人より特別だと思う気持ちがある。身障者は自分に甘え、他人に甘える気持ちがある。第一に甘える気持ちをなくす。辛抱して、前向きに生き、挑戦して、プラス思考に考えること。私がこの病院に来たのはママが薦めたこともあるが、私ももう一度自分の手、足を使って歩き、動きまわりたかったからだ。好きなことがしたい。ママにおいしい食べ物を作ってやりたい。一緒に旅行もしたいし、色々なところに行き、色々なものを見、同じ感動を受け過ごしたい。色々な夢もみたい。だから動き回れる様になるために、自分に甘えず、他人に甘えず、リハビリに耐え、挑戦しよう。難しいことだが自分にしか出来ないことだ。ママはむずかし事を云って帰る。パソコンを打つのも左手を使ってキーボードを打てと言うが、左手で打つと何度打つても違うキーボードを打つ。30分たっても、1時間たっても文書にならない。挑戦してみるが駄目。少し時間が無いので先を急ぐ、言語の訓練で聞取る訓練をする。みかん、と言われてもりんごと聞こえる。先生が言われるには耳から脳に伝わるまでに言葉が変わっていくのだと。これは訓練で直せる。普通の人が聞こえるような段階に近づくと言われる。(手話は聾の人)

2月25日の日記

ママが大福を持って3時過ぎに来てくれた。私よりFさん、Kさんが大福を待っているようだね。M町での俳句会は雪で大変だったろう。ママが帰って行くと雪も上がり陽が差す。夕食時分になるが大福のせいでお腹が空かない。夕食と云って来るが
落ち着いて動こうとしない17時11分もう30分動かないだろう。
 夜7時半N H Kテレビの「ふるさとスペシャル」報道があり「シニアネットはまだ」の面々とママが出てくると云うことなのでチャンネルを合わせて見ないといけない。福原さんも同じ事を言われる。7時から9時前までテレビを見る、バスの中のママがよく映っていた。